「いのるものろうも」

日本にはかつて嫁ぐ娘に「花布巾」を持たせる文化があった。

母親が娘の幸せを願い、嫁ぐ際に手渡した布巾は、娘によって日常の中で使用される。
その娘もまた母親になった時に、自分の娘に「花布巾」を縫う。
そうすることで何世代にも渡って同じサイクルが行われてきた。

想いは指から針に伝わり、糸として縫い込まれる。
細かく縫い込まれた「花布巾」は、まるでその人専用のお守りのようでもある。

戦争に向かう兵隊に対して手渡された「千人針」というものがあった。

なんとしても戦争から無事に帰ってきてほしい、という願いが込められたこの針は、
穿った見方をすれば「誰かを殺してでも、無事に帰ってきてほしい」とも考えられる。
戦争というあまりにも絶望的な状況下においては、そういった犠牲に関しては
注意を払われず「−」のイメージを拭うことはできない。

刺繍は、人に見せる美しく縫われた「表」の部分と、
人に見せられない汚い「裏」の部分を同時に内包している。
縫うという行為は、ものを形作る上において、書くの何倍も時間がかかる。
その分、その対象へ想いが込められていく時間が長く、より強いものとなる。
「+」な方向にも、「−」な方向にも、どちらにも強いベクトルを持ちうる、
非常にナイーブなメディアだ。

なにが起こるかわからない日常。
いくらでも「−」な方向に陥りやすい今、
母親から子供へ、といったような絶対的な想いは漠然と強く、美しい。

あまりにも無意識で、あまりにも神々しい集合体、強大なお守りのようなものを
私は見たい。